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Yi Ruiqin研究員、Albert Fahrenbach研究員らの研究成果がChemistry Selectに掲載されました

普通の食卓塩が生命の起源に重要な役割を果たした可能性について

figure 1.jpgシアン化水素から出発し、アンモニウムと塩化物存在下でガンマ線を用いるシアンアミドと単純糖類前駆体の水中ワンポット合成により、生命起源分子にもなりうる重要な化合物の複雑混合物を非生命的に生み出すことに一歩近づく。

―どのようにして地球上に生命が生まれたのか?―これは現代科学が未だ解明できない大きな問題の一つである。科学者は一般に、惑星の初期環境中に存在した単純な分子が環境中のエネルギー源を利用し、生命を生み出すきっかけとなる、より複雑な分子へと変化していったと考えている。また同時に、初期地球の表層は火山活動による熱供給をはじめ、太陽光からの紫外線照射といった多くのエネルギー源が存在していたと考えている。どのようにして有機分子が初期地球上で生成し得たかを調べた最も初期の研究の一つとしてユーリー・ミラーの実験がある。この実験は、稲妻を模した電気放電を行うことで、水、メタン、アンモニア、水素の混合物から幾つかのアミノ酸を含む様々な有機分子が得られることを示した。アミノ酸はすべての生命を構成する基本構造成分である。地球惑星環境中に存在し得た他のもう一つの重要なエネルギー源の一つとして、天然鉱物中に含まれる放射性のウランや放射性カリウムの壊変に由来する高エネルギー電離放射線がある。最近、東京工業大学地球生命研究所 (ELSI)のYi Ruiqin博士 とAlbert Fahrenbach博士が率いる研究チームは、地球初期に存在し得たシアン化物と塩化ナトリウムの混合溶液に対し電離放射線の一種であるガンマ線を照射するとRNAの合成に必要な数種類の前駆体有機分子が生成することを示した。非生命から生命を開始させた分子の候補であると広く考えられているRNAが、地球上で一体どのように非生命的に生じ得たのか、本研究はその理解を一段と深めた。初期太陽系における環境条件の下、RNAを一から合成するのはRNAの分子構造の複雑さ故に容易ではない。数十億年もの間進化し続け、高効率にRNAを合成している生命の仕組みは有機合成化学の観点からは驚愕に値する。生命が現れる以前、RNAを作り出し得た環境というのは多くはなかったであろうと考えられている。この研究グループは、塩化ナトリウム、つまり食卓塩が、生命誕生に不可欠なRNAの非生物合成に役立ったことを発見した。塩化ナトリウムは海の塩辛さの素となる化合物である。地球を含む惑星の初期段階において塩化ナトリウムを利用した化学反応が起こることは十分に考えられる。

本研究の最も挑戦的な面は、塩(塩化物)がRNA前駆体合成に決定的な役割を果たし得ることを明らかにした点である。合成化学者は往々にして反応中の塩化物を無視しがちになる。水中反応を行う際には、多くの場合反応にはほぼ影響しないとはいえ、塩化物は反応系に幾らかは含まれている。たいていは、塩化物は合成化学者の興味の対象となる反応では重要ではなく、長時間バックグラウンドの一部としてしか存在しない。しかし、この研究グループは、時間はかかったものの、自分たちの実験に化物が関与していることに気が付いた。

反応駆動エネルギー源として使用された電離放射線は塩化物から電子を取り除き塩素"ラジカル"を生成させたと、最終的に彼らは推論している。塩素"ラジカル"はその名が示す通り、もはや行儀の良い大人しい化学種ではなく、より反応活性の高い化学種となる。塩化物が一旦ガンマ線で活性化されると、自由に他の高エネルギー化合物の生成に繋がり、それらの化合物が最終的には複雑な構造のRNA分子を構築するのに役立つのである。
研究グループはまだRNAを全合成するまでには至ってはいないが、RNAの非生命合成を妨げるものは原理的には何もなくなったことを本研究は示している。現段階の疑問は、RNAを合成する構成成分がどのように生成されたかではなく、どのようにしてそれらの構成成分が"warm little pond(あたたかい小さな池:非生命分子合成が起こるとされる環境中のエネルギー供給のある水系)" の中で初期のRNA重合体となりえたのかにシフトしている。この疑問に対する挑戦の一つは、共存する他の分子、つまりRNAの合成には直接関係のない分子が、どの程度RNA重合過程に寄与したかを理解することである。RNA前駆体が生成された際に同時に副生成物として生成し、かつRNA重合過程を阻害しかねない多くの他の分子が、RNA重合に関与しうるという概念から、著者らはこれを"messy(ぐちゃぐちゃ)" chemistryであると考えている。これらの副生成物がRNA重合に干渉するかどうか、或いは逆に有利に働くのか、この点は今後この分野の研究者によって研究されるであろう。極複雑な化学種の混合物のふるまいを理解することは生命起源研究における挑戦であるのみならず、一般的な有機化学における主要な挑戦でもある。

掲載誌 Chemistry Select
論文タイトル Radiolytic Synthesis of Cyanogen Chloride, Cyanamide and Simple Sugar Precursors
著者 Ruiqin Yi1, Yayoi Hongo1, Isao Yoda2, Zachary R. Adam3,4, and Albert C. Fahrenbach1*
所属 Affiliations1. Earth-Life Science Institute, Tokyo Institute of Technology
2. Co-60 Radiation Facility, Tokyo Institute of Technology
3. Department of Earth and Planetary Sciences, Harvard University
4. Blue Marble Space Institute of Science
DOI 10.1002/slct.201802242
出版日 2018年9月25日