Researcher's Eye 〜地球最大の謎に挑む研究者たち
植物から
地球と生命の
共進化を考える
植物の陸上への進出は、地球生命の進化における一大イベント
現在の陸地は植物に覆われていることが、人工衛星からの映像でもはっきりとわかる。しかし、"つい"数億年前までは、陸地に植物は存在しなかった。それでは、いつ、どのようにして植物は陸上に進出したのだろうか。佐々木は、その謎に迫るべく、"ある生き物"と日夜向き合っている。
佐々木が現在、実験の対象としているのは、車軸藻植物門(しゃじくそう植物門)に属する「クレブソルミディウム」だ。水中で最初に光合成を始めたのは「シアノバクテリア(藍藻)」と呼ばれる微生物だが、ある時、藍藻が他の微生物に共生することによって、真核生物である「藻」が誕生したと考えられている。水生の「藻」がさらに進化すると、陸上でもある程度生きられる能力を獲得し、藻類と陸上植物の中間的な存在となると考えらえる。現代の植物でこのような特性を備えているのが車軸藻植物門の「藻」である。ELSIの太田啓之、黒川顕らのグループは、藻類から陸上植物に至る遺伝子の進化過程を解明するために、車軸藻植物門クレブソルミディウムのゲノムを解読した。
「クレブソルミディウムは、細胞が一列につながったシンプルな形をした藻ですが、植物ホルモンや強い光に適応するための遺伝子など、植物の陸上進出に重要と考えられるシステムを構築するために必要な遺伝子の最少セットをゲノムの中に揃えています。私たちは、陸上に適応した最初の植物は、クレブソルミディウムのような姿をしていたのではないかと考えています」
陸上に、最初の植物が進出を果たしたのは今から約6億年前のことだと言う。陸上植物の祖先となった藻は、浅瀬で光合成をしながら繁殖していたのだが、あるときを境に、陸地で生きられるような環境適応を遂げたのである。
環境適応の鍵を探る
現在、地球上にある植物は、雪の中から熱帯、高地、砂漠と、実に様々な環境に適応している。それは、DNAを傷つける紫外線(UV)や、光、乾燥、温度変化など、幾多の環境ストレスに打ち勝ってきた結果であるといえるだろう。
今は緑が生い茂っている地球の陸地も、最初の植物が陸上に進出した約6億年前は、栄養源となりうる他の生物が少ない環境だったと考えられている。そのような環境で生き残っていくためには、植物のように自分で栄養を作れる生物のほうが断然有利だ。加えて外敵もいない。さらには光合成のもととなる光にも満ち溢れている。一見すると、植物にとってはいいこと尽くめの楽園であるかのように思われる。ところが、そこには生命体に致命傷を与える「環境ストレス」が待ち受けていたわけだ。では、この環境ストレスにどう適応し、陸地での生活を確固たるものにすることができたのか。
「陸上化する時に植物が行った環境適応の方法は、大きく分けると『代謝の進化』と『情報伝達の強化』、この2点にあるのではないかと考えています。植物は細胞膜の外側に細胞壁をもっていますが、陸上化の際には細胞壁やさらにその外側を強化し、細胞を紫外線・乾燥・温度変化などのストレスから保護する物質を合成する一連の反応(代謝)を進化させました。また、環境ストレスによって細胞の一部が壊されたことを感知して、例えば「紫外線が来ているから危ないよ!」というシグナルを発信するシステムも強化されていきました」
細胞の構成成分はほとんどが水分で、細胞膜を構成する脂質は、親水性の部分と水をはじく疎水性の部分からなっている。簡単に言えば、水を通さない「膜」で水を囲っているというのが細胞の基本だ。「膜」は細胞外からのストレスに最初に曝される場所であるため、植物のように膜のさらに外側を強化することは環境に適応した進化の一つの形である。生命の進化と共に「膜」は複雑化していったと考えられるし、裏を返せば、この基本構造ができたときこそが、生命の起源なのではないかという推論も成り立つわけである。
自専門外の視野を広めるには最高の環境
ELSIでは、セミナーやスタディグループごとの勉強会が日常的に開催されている。佐々木も光合成の成立過程をテーマとした勉強会に参加しているが、これがなかなか刺激的だと話している。
「例えば、地球上に酸素が増えた背景を考える際に、生物学では、まず藍藻によって盛んに光合成が行われたことが起因していると説明されます。ところが地質学では、酸素が作られるだけでは不十分で、地球環境の変化の影響も加わって初めて酸素が増えると主張されるんです。言われてみると、植物の陸上化についても、これまでは、当時の地球環境について、きちんと考えていなかったと気づかされたんですね」
これまでは思いもよらなかった他分野の思考を得られることで、真実へと向かって自在に"軌道修正"できるところがELSIの真骨頂だと佐々木は言う。
陸上化に伴って獲得した環境適応システム解明のため日々"藻"とにらめっこしている佐々木だが、いつかはフィールド調査にも出てみたい、と本音をちらつかせた。
「地質学の先生って、インドやアフリカの奥地とか、調査に行くところがワイルドなんです。私の研究している藻はどこにでもいるので今のところ縁がないですが、原始的な菌などは、現地調査に行っていろいろ思いを巡らせてみたいですね。『あの厳しい環境を超えるにはもうちょっとタフじゃないと無理だろうな』とかイメージが掴めると、実験系を考えるヒントになると思います」
ときには実験室を離れて本物の環境ストレスと向き合うことで、地球と生命の共進化が見えてくると期待している。