Researcher's Eye 〜地球最大の謎に挑む研究者たち
“ありえた生命”
にアプローチ
地球生命は偶然の産物だったのか
「地球上の生命は、その誕生から1度限りの進化を経て、今に至っています。例えば、「人間の手足の指はなぜ5本になったのか」という問題があります。現存する陸上動物の指は基本的に5本ですが、化石を調べると、魚類が進化して陸上化した動物のなかには8本指のものも存在したそうです。そうすると、進化の過程で海から上陸し、後まで生き残ったものが偶然5本指だった可能性が高いわけです。もしかして、私たち人類のような知性を持つ生命体が8本指だった世界もあったのかもしれません。」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、木賀は語る。この「偶然が決めた生命の数」は、手足の指に限った話ではない。もっと視点を広めてみると、生命の進化を司るタンパク質やDNAの性質にも当てはまるのだ。
地球の生物には、ごく一部の例外を除き、遺伝情報を担うDNAやRNAを構成する核酸の塩基が4種類、生命活動のもととなるタンパク質を構成するアミノ酸が20種類と、共通した遺伝暗号表※1を持つことが明らかにされている。だが、この性質が本質的に不可欠なものなのかと考えると、必ずしもそうではない。実際、塩基の場合では日米の研究グループが6種類の塩基を持つ核酸を遺伝暗号表に組み込むことに成功している。かたや、アミノ酸については木賀自ら、遺伝暗号表に含まれるアミノ酸の数を16種類や21種類に変えている。
「種々のアミノ酸の数をもつ様々な遺伝暗号表が作成できたことから、4と20という性質は、共通ではあるが必須ではないということが明らかになりました。たまたま4と20に落ち着いただけで、もしかしたら違う数の塩基やアミノ酸を使った異なるシステム、異なる生命が生まれていた可能性だってあるのです。」
「ありえた生命」をつくることで生命の起源にせまる
木賀が取り組む合成生物学とは、生体分子を組み合わせることを研究手段とする「つくる」生物学である。生物学は元来、「観察する」ことを主体に発展を遂げてきた。しかし、さまざまな生物の遺伝情報(ゲノム)など細部を極めていくにつれ、「観る」アプローチだけでは生物を理解するには限界があることがわかってきた。そこで、もう一歩踏み込んだ手法として編み出されたのが「つくる」生物学、合成生物学なのである。
合成生物学による「つくる」アプローチの意義は、大きく3つに分けられる。つくる、と聞くと、役立つものをつくる、という印象を持たれるかもしれない。しかし、薬剤生産などのために「機能を付加した生命をつくる」ことは、ひとつの工学的な意義でしかない。
つくることには理学的な意義が2つある。その1つは、「つくることで、生命システムに関する仮説が正しいか否か検証する」ことだ。生命システムを構成する要素について、個々の分子や1対1の相互作用に関する限られた特性が観察されてきた。しかし、本質を観察できているとは限らず、観察から導かれる仮説は、実際にシステムを構築しない限り検証することはできない。
もう1つの理学的な意義はELSIにとっても重要である。それは「ありえた生命をつくる」ことだ。先ほど4と20は必須ではない、遺伝暗号のアミノ酸の種類を16にも21にもできることに触れたように、実はこのような「ありえた生命」を突き詰めていくことこそが、ELSIの目的である「現在の生物の観察からは直接知ることができないミッシングリンクを超えて生命の起源を探る」につながると考えられる。
「ELSIの研究における私の役割は、『生命誕生当時と同じ形のタンパク質による反応のネットワークをつくる』ことです。生命が生まれた当時の地球環境、もしくは現在の生物のDNA配列から推定される生命誕生当時のDNA配列といった両面からの制約条件のもとで、当時の分子や反応ネットワークを再現させるのが私の仕事です。」
生物の優れているゆえんは、自分の構成材料を一からつくり上げている点にある、と木賀は続ける。現在の地球の生態系は、地球化学的に供給される分子のエネルギー、もしくは太陽の光をもとに、いずれかの生物が炭素原子を1個ないし2個含む分子を取り込んで、より複雑な有機物を生産するシステムを持つ。さらに生態系を構成するどの生物も、炭素が多数含まれる複雑なポリマーであるDNAやタンパク質を生産できるシステムを持つことで、生態系を支えている。生命の起源を知るうえでも、これらの生産システムを解明することは、重要な意味合いを持っている。
「どのようにして、生命が必要とする分子がつくられるシステムが成立するようになったのか。生命が誕生し進化を遂げていく過程において、このようなシステムの中で反応を効率よく行う触媒が重要です。触媒を担う主体が無機物から、現在の生物が使用するタンパク質酵素へと置き換わっていくプロセスを、ELSIにおける地球惑星科学や化学進化※3グループとの共同研究を通してぜひとも解明してみたいですね。」
共通祖先以前の生命を「つくって」みたい
木賀が生物に興味・関心を抱いたルーツをたどると、意外なところに行き着く。それは、漫画『ドラえもん』の2つのストーリーに登場する、奇想天外な道具であった。
「一つは『イキアタリバッタリサイキンメーカー』、もう一つが『天球儀』です。前者は、新種の菌を作り出す実験装置なのですが、"行き当たりばったり"なのでなかなか思いどおりの菌ができない(笑)。今なら、私が進めているもう一つの研究である遺伝子ネットワークのデザイン手法を活用していろいろ設計できるんですけれどね。一方、『天球儀』では一つひとつの星が本物そっくりのミクロコピーで作られていて、生物のいる星には極超ミニロボットが置いてあるんです。それを顕微鏡みたいなもので覗いたり、特殊な宇宙船で行ったりできるのですが、オチがよくできている。地球とそっくりな星に"天才少女のび太ちゃん"がいるという、全部アベコベなストーリーなんですね。これを読んだときは結構衝撃的で『別のかたちの生物ってあってもいいな』と思ったのが、生物の道に目覚めるきっかけだったのかなと。」
そんな木賀も、現在では合成生物学の分野におけるフロントランナーであり、またELSIの一員として、生命の起源や可能性の解明に日夜取り組んでいる。とりわけ、生物の共通祖先の配列を推定しようという試みは、これまでも生物学者の間で先行研究がなされてきた。しかし、それより前の段階については、まだ誰も足を踏み入れてはいない。この共通祖先以前のところまで、"ありえた生命"の可能性を探っていきたいと木賀は考えている。
「触媒として重要なタンパク質を構成する20種類のアミノ酸も、遡っていくと19種類であった時代があると多くの研究者が考えており、もしかしたら12種類くらいしかなかったかもしれません。そこを突き詰めていくにあたっては、『どのようにしてエネルギーを獲得し保存していったか』『どのようにしてタンパク質をつくっていったか』といった本質的な部分に特化して研究を進めていくのが良いだろうと考えています。エネルギーの獲得と保存に関してだけでなく、最初のタンパク質でのアミノ酸の種類の問題についても、生命誕生前後の初期地球の環境に関する情報を得ることが不可欠なのです。ELSIでは地球惑星科学や化学進化の専門家と直接的に情報を共有できる点が、今後研究を進める上でとても大きな意味を持つでしょう。」
※1.遺伝暗号表:4種類の塩基の配列により構成されるDNAまたはRNAの遺伝情報のうち、3文字1組の塩基配列(コドン)が1つのアミノ酸を指定する。60余りのコドンとアミノ酸との対応関係を示したものが遺伝暗号表である。
※2.生体高分子:生体を構成しているタンパク質・核酸などの高分子化合物。
※3.化学進化:原始地球上において生命が発生するまでの、メタンなどの単純な炭素化合物が合成や重合化を繰り返し、タンパク質・核酸などの高度な化学反応システムへと発展していく過程全体をさす。