要点
●氷における体積同位体効果(注1)とその圧力誘起転移について研究を行った。
●水素結合に由来するフォノン(注2)モードの圧力依存性の特殊さによって、その現象を統一的に説明できることを突き止めた。
●第一原理計算(注3)による理論予測と、実験による実証に成功した。
概要
東京工業大学地球生命研究所の梅本幸一郎研究員、廣瀬敬所長・教授、高輝度光科学研究センターの大石泰生副主席研究員らの研究チームは、H2O氷と水素の同位体である重水素Dで出来たD2O氷の体積の違いとその圧力変化を、理論予測と実験の両面から解明することに成功した。
本研究成果は2015年10月22日、米国物理学会誌「フィジカルレビューレターズ(Physical Review Letters)」オンライン版に掲載された。
今回の発見により、物質の持つ体積同位体効果を統一的にあらわすことに成功した。これにより、氷以外の物質の体積同位体効果のふるまいもすべて説明できるようになる。
背景
われわれの最も身近な物質の1つである氷H2Oは、圧力や温度を変えると、結晶構造(水素と酸素の結合の仕方)やその物性が大きく変わることが知られており、その相図は非常に複雑である(図1)。
通常、原子をより質量の重い同位体原子に置き換えると、体積が減少する。ところが、氷のIh相(普段私たちが目にする氷)とXI相(Ih相において水素が秩序的に分布している相)では、重水素からなるD2Oは、軽水素から成るH2Oよりも質量は大きいが体積も大きい(通常と逆)ことが、実験および理論的に知られていた。この現象は、異常体積同位体効果と呼ばれている。一方で、VIII相およびVII相(水素が無秩序に分布した、VIII相に類似する相)では、H2OをD2Oに置き換えたとき、0ケルビンの常圧下では、通常どおり質量は増加し体積が減少する体積同位体効果が起こることが理論的に予想されていた。
きわめて単純な物質である氷に関して、異なる体積同位体効果が発生する理由は、これまで明らかになっていなかった。
図1:氷の相図
研究成果
本研究では、密度汎関数法に基づいた第一原理計算とSPring-8(注4)のBL10XUを用いた放射光X線回折実験によって、氷のVIII相とVII相の体積同位体効果とその圧力依存性を調べた。
VIII相に対する理論計算により、300ケルビンにおいて、14万気圧以下では通常の体積同位体効果が見られ、14万気圧で体積同位体効果が通常のものから異常なものへ変化することがわかった(図2)。つまり、今までのVIII相の体積同位体効果に対する予想は14万気圧までは正しいが、さらに圧力が高くなると異常なものに変化することを理論的に予言した。そしてこの変化には、分子内の水素酸素結合の伸縮に対応するフォノンモードの圧力依存性が決定的な役割を果たすことを突き止めた。
一方、水素が無秩序に分布したVII相に関する放射光実験でも、室温(およそ300ケルビン)での16万気圧において、体積同位体効果が通常のものから異常なものへの変化が観測され、理論を精度よく裏付けた。
VIII相とVII相の比較から、氷の相の体積同位体効果の変化について、水素が秩序的に分布しているかどうかは、無関係であることを示した。
さらに、実験および理論で異常体積同位体効果が知られていたIh相の水素秩序相であるXI相でも、体積同位体効果は圧力により通常から異常なものへ転移することが、理論計算によって示された。ところがその転移は負の圧力(およそマイナス1万気圧)で起きる。その結果、常圧下では異常な体積同位体効果が観測されていたのである。つまり、IhやXI相において常圧下で起きていた異常体積同位体効果は、VIIやVIII相について明らかにしたメカニズムで統一的に説明することが出来ることが明らかになった。
今後の展開
本研究で明らかになった体積同位体効果の圧力変化とそのメカニズムは、他の氷の相のみならず、液体相である水や、他の水素結合を含む全ての物質においても普遍的に成立すると期待される。
【用語説明】
(注1)体積同位体効果: 原子をより質量の重い同位体原子に置き換えると、質量は増加するが体積が変化する(通常は減少する)という、物質の一般的な性質。
(注2)フォノン: 結晶中の格子振動を量子化して粒子のように取り扱ったもの。N個の原子から構成される結晶では、3N個のフォノンモードが存在する。個々のフォノンモードはそれぞれ固有の振動数を持つ。氷では一般的に、水分子が剛体として振る舞うモード、分子内の2つの水素酸素結合の間の角度が変化する運動に対応するモード、そして分子内の水素酸素結合長の変化に対応するモードが存在する。通常、圧力下では振動数は増加するが、水素酸素結合の伸縮に対応するモードの振動数は圧力下で減少する。これは水素結合からなる系の特有な性質であり、体積同位体効果の圧力誘起転移において決定的な役割を果たす。
(注3)第一原理計算: 実験によって決められるパラメータを用いずに行う理論計算。
(注4)兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高エネルギーの放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その運転管理と利用者支援などは高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来している。放射光とは、電子を光速に近い速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、強力な電磁波のことである。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
【論文情報】
掲載誌: フィジカルレビューレターズ(Physical Review Letters)
論文タイトル: Nature of the Volume Isotope Effect in Ice
著 者: Koichiro Umemoto, Emiko Sugimura, Stefano de Gironcoli, Yoichi Nakajima, Kei Hirose, Yasuo Ohishi, and Renata M. Wentzcovitch
DOI: http://dx.doi.org/10.1103/PhysRevLett.115.173005