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149 前学長の功績を称え、ELSIホールを三島ホールに改称

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三島ホールの名称変更記念式典で、太鼓の演奏を見守る東京工業大学の益一哉学長、三島良直前学長、廣瀬敬ELSI所長、Mary Voytek ELSIエグゼクティブディレクター、John Hernlund副所長。


2012年後半、三島良直が東京工業大学の新学長に内定したころ、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に東京工業大学が申請した「地球と生命の起源を探る専門研究機関」設置の審査も最終段階を迎えていた。

この2つの動きは、新学長に選ばれた三島の最初の公務の形で一点に集まった。三島は、この研究所、つまり後の地球生命研究所(ELSI)こそ、WPIが支援すべき先進的研究拠点だとアピールした。

三島は次のように語っている。「(WPI)プログラム委員会での決意表明が、学長としての初仕事になりました。私はELSIの設立を100パーセント支持していましたから、これは私にとってもうれしい仕事でした。」

それ以来、たとえ前面に出なくとも、ELSIへの支援と推進において中心的な役割を果たしてきた。

たとえば三島は、塚本由晴研究室が設計したELSI研究棟の建設予算として18,00万ドル(約20億円)を確保し、またWPIプログラム委員会に対し一貫してELSIへの強力な支持を表明してきた。そして5年経った後の学長としての最後の責務のひとつとして、ELSIに対する積極的なサポートが東工大にとって最も有益だと、後任者に語っている。

ELSI副所長のJohn Hernlundは、三島と多くの取り組みを共にし、前学長がELSIの存続と成長に必須だったと語る。

「設立直後の困難な時期、私たちを導いてくれたのが三島さんです。全員が学長に敬服しました。打開策が見えないときが何度もありましたが、そのたびに学長が救ってくれました。」

MishimaHall_image3.jpg三島は2012年から2018年3月まで東工大の学長を務めた。

ELISは、この厳しい時代を支えた東京工業大学前学長の功績を称え、メインホールの名称を正式に変更した。今後、「ELSIホール」は「三島ホール」と呼ばれる。

これは小さな栄誉ではない。東京工業大学のホールが学長、教授、あるいは他の人の名前を冠するのは初めてである。

名称変更を記念し、1月10日には、大人や子供たちの和太鼓演奏を盛り込んだ式典が行われた。

一見、地球と生命の起源を探る国際研究機関が、三島良直の優先事項とは考えにくい。 三島の専門は材料科学で、おそらく最も応用性の高い科学である。学長就任前、最後に発表した論文のタイトルは、『Electron Diffraction Study on the Crystal Structure of a Ternary Intermetallic Compound Co3AlCx(電子回折法による三元系合金Co3AlCxの結晶構造に関する研究)』である。

ELSIでの研究は、いつか実用化される可能性があるとは言え、それを目的として行われるわけではない。

しかし三島は、学際的科学にかなりの経験を積んでいる。学長に就任する前は、東工大内の従来と異なる2つの組織の長を兼任し、大学院の総合理工学研究科の長も務めた。

加えて、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した時代から、従来の形式にはとらわれない形の教育を体験していた。

したがって、科学に対する日本的アプローチの改革がなぜ必要なのか、どう改革すべきかが常に念頭にあった。

彼は次のように語っている。「日本の科学の水準は極めて高く、とりわけ、材料科学、物理学、数学などの分野で傑出しています。」

「100年前から、日本の教育制度はかなり質が高く、研究者が自分の専門分野に没頭できる環境を提供してきました。常に、物事をより深く追究すること、狭くても深く掘り下げることが重視されました。」

「ところが、異分野の融合や学際的研究となると、日本の科学者はそれほど成果を上げていません。自分の領域から出たがらないのです。たとえば、地球科学、化学、生物学を融合して、宇宙生物学を作ろうという提案には、なかなかなじめません。」

「しかし、国際的レベルの科学にとっては、これが非常に重要な方向性です。つまり学際性です。21世紀には不可欠な科学基盤と呼ぶべきでしょう。かなり以前から、物理学者と技術者、そしてできれば生命科学者が力を合わせたイノベーションが求められていました。」

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退職前にインタビューを受けた三島は、東工大や他の日本の大学が、過去100年以上にわたり基本的に同じルールで運営されてきたとも指摘した。今こそ変革の時であり、ELSIが新しい未来のきっかけを作り、模範を示すことができる、そうすべきだというのが彼の考えだった。

変化の妨げになると三島が考えていたシステムのひとつが、部局の人事裁量権を各部局長が握っていることだった。「改革に消極的な教授たちもいて、私の学長在任期間にも何度か論争がありました。しかし、前進はあったと思います。皆、論理的な思考ができる人たちですし、何を、なぜやるのかを説明すれば、その道理を理解してくれます」。

三島のELSIに対する数多くの支援の中で、おそらく最も強力だったものは、ELSIの研究者に東工大の常勤職をできる限り提供する、若手研究者へも強力な支援を与える、という約束である(その約束は守られている)。

日本の人口が減少し、国から大学へ配分される予算も減少しつつある現在、教員ポストは特に貴重である。通常は、各部局長が人事裁量権を持っているが、三島は固い決意でその4つの枠(さらに増加の予定)を学長に集約して、ELSIの人事面での強化を進めた。

こうして東工大の常勤教員となったELSI研究者のひとり、マックグリンは次のように語っている。「すばらしいことです。すべて三島さんの功績であり、彼がどれだけELSIの成功と存続を望んでいるかを強く示していると思います。」

これは、三島が学長としての最後のWPIプログラム委員会で語ったメッセージにほぼ一致する。ELSIには、東工大の不可欠な要素として成長する機会が必要だと訴えたのである。

WPIの規定では、2012年までに選ばれた9つの研究拠点が、それぞれ10年間の大規模な補助金を保証され、補助金の延長を求める機会が1回だけある。これまで延長を認められたのは、東京大学のカブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli-IPMU)のみであり、それ以外の研究拠点は、ホストである各大学に将来の資金の大半を頼らざるを得ない。

三島は、ELSIと東工大が、2019年(当初の補助金が残り2.5年となる頃)に、WPIに延長を申請する予定だと言う。他のWPI研究拠点の実績もかなりだが、それでも彼は、ELSIが5年間の延長を獲得する見込みがあると考えていた。

東大のKavli-IPMUが補助金の延長を勝ち取った要因のひとつは、米国のKavli財団がパートナーとなったことだった。外部からの支援の確保は、WPIが選択した研究機関への補助金継続を決定する基準のひとつである。

ELSIの未来は、後任の益一哉学長のELSIに対する熱意にも左右される。

三島は当時、ELSIへの基本的な支持が学内にすでに存在するため、おそらく誰が後任になっても支持は継続されるだろうと語った。現に益も名称変更式典でその決意を述べている。しかし三島の望みは、WPIの当初の条件である研究拠点の存続だけでなく、さらなる成長と拡張である。

三島と数々の話し合いを重ねてきたELSIの所長、廣瀬敬も、学長が常に力強い味方だったと認める。

廣瀬は次のように語っている。「三島さんは、バークレー(カリフォルニア大学)での大学院生時代に良い経験をされており、東工大をバークレーのようにしたいと努力を続けておられます。東工大にはグローバル化が必要であり、さもなければ世界における存在感が次第に希薄化するという信念があるのです。」

グローバル化の取り組みに合わせ、三島の尽力で、東工大は日本政府のスーパーグローバル大学創成支援プログラムに採択された。このプログラムの目的は、海外の傑出した大学との共同研究事業に補助金を支給し、日本の学生のグローバル化を促すことである。

三島は明らかにグローバル化を支持する一方、東工大キャンパス内の既存の才能と専門知識を非常に重視し、「守りたい」と語った。

「自分が関心を抱いているテーマを深く研究したい科学者を、本学に保持していきたいと思います。私は、基礎研究よりイノベーションが大切だとは言っていません。基礎科学に取り組む人々を守ると同時に、革新の余地を作ることが重要なのです。」

「しかし、ELSIは成功し、国内でも、海外でも東工大を際立たせています。ここには海外からの科学者たちが大勢いますし、何百人も客員研究者が訪れています。」

「ELSIは、私が本学全体に導入しようとしているもののモデルだと言えるでしょう。」

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Photo credit: N. Escanlar/ELSI