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102 私にとっての東京

家で
私はカントリーボーイだ。モンタナで育った。モンタナは日本とほぼ同じ広さだが、人口はわずか0.8%に過ぎない。私が東京の教員の職に応募したことを伝えたとき、私のモンタナの家族が少し驚いた。人口の違いが理由の1つだろう。さらに、私が就職を決めたときはもっと驚いた。モンタナ人が東京へ?私の祖母は単純に「なぜ?」と尋ねた。
目を閉じて東京のことを考える。何が見えるだろうか?そこは地球上で最大級の大都会だ。読者は新宿や渋谷を想像することだろう。大都市、忙しい街、ライトの灯り。私も同じように考えた。私は東京に移り、誰かがかつて「地球上で最も月面基地に近い場所」と書いた都市で、その小さな島国で、生活体験をしてみたいと思った。しかし、どれくらい騒がしいのか、誰かが叫んでいてもどんなクラクションが鳴っていても聞こえないほどなのか、想像するのは難しい。 (目を閉じてニューヨークのことを考えて欲しい。たぶんブッブーッというクラクションを鳴らす音が聞こえるだろう。)
私は自転車に乗るのが好きだ。毎日通勤のため、楽しみのため、あるいはその両方のために自転車に乗っている。そして、都内で滞在する場所を探し始めたとき、多くの人がやっているのと同じことをした。Airbnbを探した!google Earth(GoogleとNASAに感謝!)を使って私の大学まで自転車で行ける範囲内で、最も緑の多い場所を選んだ。衛星写真は嘘をつかない。結局、私は小さな農場や田んぼに囲まれた一軒家に住むことになった(東京の誰もが小さなアパートに住んでいるわけではない)。この地域の地名「下山田町」は、「丘の下の小さな田んぼ」という意味だ。この名前は、この辺一体をうまく表している。
私は地元産の食材を食べる主義だ。近所で生産された季節のものを食べるのが大好きだ。これは私がいつも生活していた(または試みた)方法だ。私の母が私に教えてくれたこと -- 新鮮なものがべスト!私が子供だったとき、私たちはいつも自宅の小さな庭でとれた最高のトマトとジャガイモを食べていた。しかし、日本では、島の経済に屈しなければならず、果物や野菜などの生活必需品がものすごく高価なのだろうと思っていた。ところが東京で生産された食材を買えるということがわかり、ほっとしている。少なくとも東京の前に住んでいたカリフォルニアと同じくらい簡単に買うことができる。しかしカリフォルニアの場合と違うのは、小さな農家の直売所で、必要な農産物が買えるということ、そして野菜は素敵で優しい日本のObachan(おばちゃん)が売っているということだ。私はおばちゃんが育てた、その季節にあるものを食べる。私はおばちゃんからたくさん野菜を買い、おばちゃんは私に日本語を教えてくれる。ここが東京?もちろん!私のモンタナの家族はそれを聞いて安心した。私もここなら安心だ。

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小山田町の私の家から首都大学東京への道。

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大学の外、と自転車

大学で
日本に来て学界で働く人なら、Robert W. Ridgeの『A Practical Guide to Working as a Scientist in Japan 』は面白く、ためになる本だと感じるだろう。この本はオンラインで買うことができる。ちょっと古いが、読み物としては楽しく、多くの点でまだ当てはまる。私は首都大学東京の准教授として雇われた。日本のシステム(そしてアメリカ人も!)では、私は准教授にはやや若いようなので、助教授レベルからスタートすると考えていた。しかし、大学は私がうまくやれると考えているようだ(私も努力している!)、そしておそらく私の立場で最も重要なのは、准教授は助教授よりも多く教えることができるということだ。大学は新しい(そしてエキサイティングな)英語のカリキュラムのために私の英語力を必要としてくれた。まだ若輩者の私を雇うという若干のルール変更をしてくれたおかげで、私は仕事を始めることができた。だから教える時間を多くとるようにしている。私は、学部に雇われた最初の外国人だ。それはとても興味深く、楽しく、時には驚きもある。
私にとって大きな驚きは、自分やもう一人の教授職の配置と、英語の生物学カリキュラムの設置までほんの2年でなされたことだった。大学でこれだけのことがそんなに速く実施できるとは私には信じられない。車輪が明らかに非常に迅速に回転している!日本では、こういった柔軟性とうまくバランスをとるように、極端な保守主義が頻繁に見られる。ここでは変更できないことがいくつかある。私はまだクレジットカードを持っていないし、銀行も私が外国人という理由で最初はNOと言われた。ルールはルール、それはそれ。しかし、他のことはなぜか変更することができ、しかも迅速だ!
ある時は急速に変化し、ある時は保守主義となる二元性は、有名な月面基地の雰囲気を持つ東京の繁華街と、そこから数歩先にある静寂な畳の空間が共存することでも説明できるだろう。訪問者にとって、日本は安全で安定しているように見える。確かに日本人は私が今までに会った中でもとても親切な国民だ。しかし、ここでの変化と安定の同時発生は、平衡から遠く離れたシステムだ。それは変化によって達成される安定性であり、地震がしばしば日本を揺るがすのと同じように、人々や政策も揺るがす。これも日本が住むところとしてとても興味深い理由の一つだ。社会レベルでの安定性とダイナミズムのこの明らかなバランスは、私たち自身の生物学的細胞と生態系の状態にいくらか近い。大規模な変化と流れはすべて一時的な秩序の名において達成された。異なる方法や異なるスケールでエネルギーがどのように物質を体系化するのかを知ることは楽しい- 東京は私に新しい方法を教えてくれている!

研究室で
私は他の2人の教授と研究室を共有している。研究室は研究の場として学部によって設置され、教師と学生が共に使用している。私たちは「環境微生物学」研究室に所属している。すべての機器を共有していること、また専門知識が集まっていることという意味で多様性に富んでいる。生徒は複数の視点からアドバイスを受ける。私たちは皆一緒に仕事をしているが、独立性は維持されている。
実験室はかなり混雑しており、東京と言えば想像できるとおりスペースは限られている。私は現在准教授だが、博士課程の学生のときと同じくらいの机を使っており、その机は研究室の中にある!この研究室に行き渡っている基本原則に、「mottainai(もったいない)」という考え方がある。誤解を恐れずに言えば、「もったいない」とは、いつか役に立つ場合に備えて、物や設備を節約するという意味だ。確かに、後で役に立つかもしれないものを取っておくことは良い事だ。しかし、英語では「pack rat(収集癖)」という言葉もあり、それも「もったいない」のうちである。ここには古い設備がたくさんあり、個人的にはリサイクルか廃棄すべきと思っている。しかし、古いガラス器具や蠕動ポンプが最新アイデアの実験に使う日が再度来るかもしれない。日本での生活と仕事は、外国人に物を整理することについて新しい見方を与えてくれる。

自転車での帰宅
実験室で十分な時間を過ごした後、私は自転車で丘を越えて、私が住む小山田に降りて行く。水田は最近水が張られ、植物はぐんぐんと伸び、何千匹ものカエルのコーラスが聞こえる。おそらく私が住んだ中で最も(モンタナよりも)静かな場所だ!そしてもちろん私が以前に住んでいたパサデナよりも。
ここは東京?そう、私にとっての東京。ここは地震や、西洋と全く違う歴史によって、毎日少しずつ揺さぶられる場所である。私が引っ越す前に友人が「日本はあなたを変えるだろう」と私に言った。彼女は正しかった - 私たちはお互いに平和的に、もてなしをもって招待し、優雅なもてなしを受け入れることで大きな利益を得ることができる。これは、この世界の喜びの一つである。このように、遠く離れたどこかにいると、今まで考えたこともなかったことを、じっくり考える事ができる。