地球生命研究所は、若くて急速に成長し発展する研究機関だ。その日常生活の最も優れているものの一つが、すでに伝統になっているが、週2回のランチトークだ。この短いトークは、世界中の他の大学や研究機関と同様、最近の成果、現在のアイデア、将来のプロジェクトを非公式かつオープンな形で紹介する場となっている。しかし、ESLIのランチトークは非常に重要な理由で特別である。まず、PB&J(ピーナッツバター&ジャム)サンドイッチの入った茶色の紙袋もなく、パリジャンのバゲットもない。弁当を食べる。第二に、脂質ミセルの形成から、地球深部のマントルの秘密、クールな最新の地球化学的手法まで(他にもまだまだあるが)広範な科学技術分野について話を聞くことができる。したがってELSIの幅広い研究分野がすべて、地球と生命の共進化についてのさらなる理解に収束する。
そしてその日、目の前の弁当では物足りないなら、ここが日本だと思い出させるもっと大きな出来事が起こった。それは地震だ。
私は日本に2週間ほど滞在していたが、品川駅に到着した列車の揺れ以上の地面の揺れを感じたことがなかった。「すでに2週間も何もない、こんなものか?」と私は思っていた(私が間違っていた。私は「太平洋プレートとフィリピン海プレート以外、こんなものか?」と言うべきだった)。もちろん、地震は笑い事ではない。日本の土地は、沈み込みプレートの沈下によってユーラシア大陸から一部が引き離され、現在も日本を形成している地殻変動プロセスが地震や火山噴火といった形で日本を脅かしている。われわれ全員が知っているように、これらは時々壊滅的な結果をもたらすことがある(御嶽山での最近の出来事がその例だ)。
日本が初めての私としては地震の初体験を心配していたが、知らない人は実際よりも怖がることが多い。そしてその揺れはKurumaさんがリン脂質二重層について私たちに説明してくれた通りだった。最初の衝撃は、私たちを一時停止させた。部屋の誰かが「jishin(地震)」と言った。数秒以内にローリングが始まった。建物はほぼ音を立てず揺れ、その中で金属音だけが聞こえた。ほとんどが照明器具の揺れる音だ。私は周りの日本の同僚の顔をのぞきこみ、様子をうかがった。彼らの顔は厳しいものだったが、本当に心配しているようではない。むしろ平然としていた。私は後で、だれかが机の下に入り込んだと聞いた。それが、地震の際にすべき行動なのだ。もう一人の日本人が「ooki(大きい)」「nagai(ながい)」と言っていた。確かにこれだけの強度と長さであれば、この揺れは地震のものだとわかっただろう。それでも、ELSIの建物は丈夫だったため、それほど大きなものではないと感じた。数分後、この地震がM5.6の強度(リヒター)で、東京北部が震源であることを知った。大きな地震だが、日本の基準では本当に危険なものではない。
後にELSIらしく、経験したことと、それが地質学とどのように関係しているかについて話している人がいた。最初の衝撃がP波で2番目がS波だが、区別がつきにくく、ローリングは表面波であった。それらの波の時間差は、震央から遠いほど大きくなる。私たちから約60km離れたこの地震では、P波と地上波の間に約5秒の差があるように感じた、感じ方は実際の時差と大きく異なる場合がある。このような近地地震では、強い震動が素早く感じられるはずだが、遠地地震の場合、震動がより長い間強くなっていく可能性があることを知った。何度か経験すると、地震の揺れを感じて事態が悪化するかどうかを素早く予測することができるようだ。
地震の数時間後、私は今後来る地震に対して安心して構えられるようになった。ELSIの建物(住むところとしても申し込むことにした)の強さに新たな信頼を寄せ、また地震の「人間経験」面での知識も少しつき、この目に見えない怪物は、結局そんなに恐ろしいものでもないと思えるようになった。もちろん、はるかに大きな地震がいつ起こるかもしれないが、日本でほぼ毎日起こるM4-M6の地震(この日以降今月は17回)ならばあまり心配していない。お分かりのように、ELSIランチトークからいつでも何かを学ぶことが期待できる!