ここ15年ほどで少しずつ、ハロウィーンが日本に定着してきた。でも、外国から日本に入ってくる多くの休日と同じように、ここでのハロウィーンの過ごし方は、私が子供の頃に経験したハロウィーンとは異なる。もっと言うと、祖国アメリカのハロウィーンから、レイヤーが数枚はがれたようなものだ。私は自分の衣装でアメリカンスクールに行き、その後、台湾の台北にある近所の(外国人の割合が高い)家庭にトリック・オア・トリートしに行ったものだ。
本場ではなかったが、コマーシャリズムが介入してこなかったため、私のハロウィーンはまだ伝統的な要素を持っていた。台湾の当時の人々は輸出品を製造することに忙しく、国内の市場向けに「薄っぺらい品物」を作るような余裕がなく、ハロウィーン小物などは売られていなかった。私の子供時代のハロウィーンは、両親やコミュニティの先生たちが運営していた。両親は私たちの衣装を作り、カップケーキにアイシングでジャック・オ・ランタンの顔を描き、カボチャを彫り、なぜかキャンディ・コーン、Twizzlers、Reese'sの小さいピーナッツ・バター・カップなどを手に持っていた。そのころは輸入品を売っている店がほとんどなく、海外から荷物を運ぶには恐ろしく時間がかかったので、どうやってキャンディーを仕入れたかはいまだにわからない(米軍基地のPXスーパー?)
過去10年以上、ハロウィーンが日本の市民に浸透したことが、商業主義の台頭に一役買っている。このお祭りがうまく日本人の精神と心理に入り込むことができたのは100円ショップであり余るほどのカボチャや黒猫の飾りが簡単に手に入るようになり、多くの家庭、学校、オフィスで祝日気分を楽しめるようになったからだというのが私の持論だ。さらに東京ディズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオではハロウィーンパレードがありテーマ商品を売っている。そもそも商業主義が地元市場に入り込んだため、日本のハロウィーンの祭典には、死者を追悼するという歴史的意味が欠けている(この目的のために私たちには夏のお盆祭がある)。ハロウィーンは、 10代から20代の人々のための人気のある文化イベントとして始まり、衣装を楽しみながら一緒にパーティーをする言い訳になっているようだ。
今年はハロウィーンが週に1度のELSI居酒屋の日である金曜日にあたり、私もこの機会を見逃すわけにはいかなかった。パーティープランナーであるChristine Houserは、いろいろなトッピングのピザを注文し、ELSIの飲み屋(ここではティータイムにお茶を飲んだり、金曜日にお酒を飲んだりする)のセンターテーブルを飲み物やお祝いの軽食で飾った。出席率も良く(ピザとビールがあればうまくいくようだ)、少人数のグループが会話をしていた。私たちは日中忙しいため、ディレクターからスタッフまで誰もが一緒に過ごせる機会があることは嬉しいことだ。
特に素敵だったのはJulien Forielの娘CamilleとJohnとChristineの娘CamillaがELSIの大きなコミュニケーションルームで一緒に楽しく遊んでいたことだ。2歳くらいの子供たちにとって、特別の日になっただろう(Camillaは自分の衣装を疑わしげにじろじろ見ていたので、彼女の両親は着ているところの写真を取れなかっただろう)。Christineは、Camillaにトリック・オア・トリートを経験させたいが、日本にはまだその伝統がないという話をしていた。そこで私たちひとりひとりを小さな女の子が訪ねるようにし、即興のトリック・オア・トリートをした。
ハロウィーンが金曜日だったので、遠くに住んでいた他のELSIメンバーの子供たちも参加することができなかった。来年のハロウィーンは土曜日にあたるため、オーソドックスではないかもしれないが、このオフィスやラボからELSIの小さな家族にキャンディーを渡すことはできないだろうか?それはちょっと不気味に聞こえる。ハロウィーンにはちょうど良い不気味さかも...!
追伸:ハロウィーン居酒屋の写真を撮った方は、掲示するので共有してください。